愛着と愛借。
2007年11月11日/ 宮古島

きのう、ここのプロフを書いている途中で、
「愛着」と打とうとして
「愛借」となってしまったのを見て、あ~なるほどそうか!と妙に納得したことがあった。
それは、わたしは以前からハワイ・宮古島・ギリシャ・神奈川県逗子には無条件にシンパシーを感じるようなところがあり、自分でもそれはいったいなぜなのか具体的にはわからないのだけど、少なくともきのうまではこれらの土地に(実際に10年住んでいる土地を含め)自分が強い愛着を感じていることに間違いはないとおもっていた。
けれど、
「愛借」と打ち間違いをしたとき、「愛の借りがある?」のではないかとひらめいた。
自分がいつか遠い前世で、これらの土地にいたときに世話になっていたり、
感謝がまだ足りないから、愛おしいと思う気持ちで今の人生で恩返しがしたいとおもったりしているんかな・・なんて想像してみた。
実は、初めてハワイに行ったとき、わたしは15歳だった。
親友とふたり親に承諾してもらい、やっとのことでツアーに参加したはじめての海外旅行。
ところが、ホノルル空港に着き大統領のポスターを見るなり、わたしの心は意外なほど沈んだ。
理由は、「わたしは昔アメリカという国から迫害された。自分はこの国を愛していたのに見捨てられたんだ」という記憶とも呼べない記憶がよみがえったから。
あのときの記憶が脳裏に鮮明にうかぶ。
ハワイは今も好きだけれど、宮古島に対するものと真反対な気がする。
宮古島は、すべてを受け入れてくれた。
ハワイは、わたしを突き放した。そんな感じ。(ハワイにはなんか貸しがあったのかな~)
ギリシャと逗子はなんのつながりだろう・・・
長くなったのでまた次回。
Posted by hrara at 14:40│Comments(0)